1874年創業 デンマークの照明メーカー
「louis poulsen(ルイスポールセン)」
建築プロジェクトから生まれてきたルイスポールセンの照明たち
建築プロジェクトにおいて、ルイスポールセンはアーキテクトやデザイナーたちと密接に協力します。ルイスポールセンの既成品の多くは、そのようなプロジェクトから生まれてきたもので、ある特定の場所で必要とされた光の機能と雰囲気のために開発されました。それら特注品の多くが高い汎用性を示し、最終的に、ルイスポールセンのスタンダード・アイテム(既成品)に発展しています。
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ポール・ヘニングセン:「近代照明の父」
1894年、デンマークの女優アグネス・ヘニングセンを母としてコペンハーゲンに生まれました。1911年から1914年にフレデリクスベアのテクニカル・スクールで、1914年から1917年にコペンハーゲンのテクニカル・カレッジで学びました。伝統的な機能主義建築をキャリアのスタートとした後、彼の興味は照明分野に移っていきました。また、活動領域は文筆活動にも広がり、ジャーナリスト、作家としても活躍しています。第二次大戦初期、コペンハーゲンのティヴォリ公園の主任アーキテクトも勤めましたが、ドイツ軍占領時には他の多くの芸術家たちと同様、スウェーデンに亡命し、亡命先のスウェーデンではすぐさまデンマーク人アーティスト・コミュニティーの中心的人物となりました。ルイスポールセン社とのコラボレーションは1925年に始まり、1967年に亡くなるまで続きました。ルイスポールセン社は今日までも、へニングセンの天才の恩恵を受けています。ポール・へニングセンは、ルイスポールセン社の広報誌 「NYT」 の最初の編集者となりました。この 「NYT」 誌は、当時のルイスポールセン社CEO、ソーフス・カストラップ・オルセンが、デンマークの新聞紙からライターとしての活動の場を追われたへニングセンに、プレゼントとして提供したものです。(彼の政治的、文化的意見は当時、かなり急進的なものでした。)ポール・へニングセンがパイオニアとして切り開いてきた照明分野の業績 - 影と光、グレア、光による色の再現、そしてそれら光の特性を人間の福利に結びつくように利用すること - は、いまもルイスポールセン社が実践するライティング・セオリーの基礎となっています。 |
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デザインと光のフィロソフィー
